弘前藩よろず生活図鑑 Web版

陸奥新報紙面で掲載した内容を、
不定期に更新していく、
Web版よろず生活図鑑です。
紙面を見逃した方も、初めて読む方も、
分かりやすい内容となっています。

2009.07.23

1682年に始まった
弘前城下の「山(やま)」祭り。

松前や秋田からも見物客が訪れ た、弘前八幡宮例大祭

「弘前八幡宮」は、前藩の総鎮守として崇拝されてきた。前城築城にあたり、門「丑寅」の方角に城の守護神として、慶長7年(1612)に創建された。

弘前八幡宮祭礼は、主が参勤交代を終えて無事に帰城した喜びを城下の人々と分かち合いたいという目的で、天和2年(1682)8月15日、代藩主信政が初めて行った。


その祭礼の時に、各町会の若衆によって初めて山車(だし)が繰り出された。運行は藩主導で行われ、費用は藩費で賄った。

その盛大さは他に例がなく、北海道の松前や秋田からも数万人の見物客が押し寄せたという。

町内ごとの「山」は北門より入城、城内を練り歩く

山車行列は田町の八幡宮を出て弘前城の北門から入り、城内を踊りながら練り歩いたという。その様子を、信政は二の丸辰巳の矢倉(やぐら)で、信政の生母・久祥院(きゅうしょういん)は二の丸の丑寅の矢倉で、共にご馳走を食べて見学をしている。

山車の題材は各町会の歴史や特徴をいかしており能や謡曲、故事来歴などを引用して表現している。また、京都の祇園祭、大阪の天満宮、江戸の三社祭の影響を受けた、人形を中心とした高欄付きの装飾は、後の弘前組ねぷたに影響を与えたともいわれている。

弘前市立観光館「山車展示館」では、現存する7つの山車を保存・展示している。人形や衣装のなかには、300年近く前の享保年間のものもあり、現在では技術的に再現不可能なものも多く、貴重な文化遺産となっている。

現在、弘前八幡宮例大祭は8月1日で、津軽神楽の奉納などが前夜祭から行われる。

津軽各地の八幡宮例大祭

鰺ケ沢町の「白八幡宮(しろはちまんぐう)」は、藩政時代、弘前八幡宮・浪岡八幡宮と共に"津軽三八幡宮"と呼ばれた。西廻り航路の重要な地位にあった鰺ケ沢港の鎮守として、歴代藩主も崇敬したという。

延宝8年(1680)に始まった「白八幡宮大祭」は、一大絵巻のように勇壮華麗な伝統行事である。御神輿渡御(おみこしとぎょ)行列では、白八幡宮と白鳥大明神(しらとりだいみょうじん)の二柱の御神輿を中心に、古式ゆかしい衣装をまとった約300人の人々が連なり、その後に各町会の山車が続く。

神輿は、貞享2年(1685年)、鰺ケ沢町中の寄進によるもの。現在、祭りは4年に1度の開催だが今年は開催年にあたり、8月14日〜16日に行われる。

青森市浪岡は、津軽平野のなかでも最も早く開かれた土地で、室町時代に南朝の名門・北畠氏の一族が城を築いて栄えた。「浪岡八幡宮」は、この城跡の入り口にあり、城の守護神であった。

津軽為信によって城が滅ぼされた後も、藩は八幡宮を保護し、3代藩主信義が改築・補修を行った。毎年8月15日の浪岡八幡宮例大祭をはさんで、「浪岡北畠まつり」が開催され、御神輿渡御、ねぶた運行、北畠武者行列などで賑わう。

挿絵1

挿絵2

挿絵3


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