弘前藩よろず生活図鑑 Web版

陸奥新報紙面で掲載した内容を、
不定期に更新していく、
Web版よろず生活図鑑です。
紙面を見逃した方も、初めて読む方も、
分かりやすい内容となっています。

2009.07.20

「元禄二年、初鱈は外ヶ浜、 二番鱈が青森、三番鱈は鰺ヶ沢」1

真鱈
「初タラ」は藩主のもとへ

タラが献上品として江戸などへ
送られるようになった時期については、
詳しいことはわかっていない。
寛文5年(1665)の『藩日記』には、
「例年の如くご進物の鱈」、
寛文12年(1672)には「御献上の鱈」と
記されていることから、
すでにこの頃から始まっていたのだろうか。
10月から11月初めに上がった初タラは、
まず藩主に届けられるのが習わしであった。
藩主が江戸にいる時には、江戸まで届けられた。
献上のタラは、その後に捕れたもので、貞享3年
(1686)には11月11日、
貞享4年(1687)には12月12日、
元禄元年(1688)には11月30日に
江戸へ運ばれている。
初タラと時期が違うのは、
献上にふさわしいタラを
選択していたからだろうか。
『本朝食鑑』(元禄8年・1695に江戸で出版された
食物の百科事典)では、以下のように記している。
「いま時は官家がこれを珍賞するので、
北州および奥羽の太守、
刺史(国守の唐名)が争って献上している。」
津軽領内で最も早く
タラが捕れるのは平舘、蟹田。
元禄2年(1689)10月23日、24日の日記によると、
この年の初鱈は外ヶ浜、
二番鱈が青森、三番鱈は鰺ヶ沢となっている。

つがろのつと

過酷なタラ漁

菅江真澄の旅行記『つがろのつと』に
(菅江真澄全集/未来社)に、
当時のタラ漁の様子が書かれている。
「津軽郡にては、ひんがし(東)は
浦田(平内町)の浜、
藻浦(平内町)の洋(なだ)よりはじめ、
西は根岸(平館町)の浦、
平舘のなだのあたりまで網せり。」
「そのころほひは雪のいやふれば、
海もあれにあれてけれど、
あらき潮迫に、ももふね、ちふね、
木の葉の吹ちりたるやうにこぎみだれ、
しほにぬれてしみ氷るたもとに雪のふりかかり、
ふぶきにまみれ、身に冴え通るあら汐の、
からきおもひをおもいやるべし。」
菅江真澄は、タラ漁が身も凍る吹雪にまみれ、
荒波の中で行われることに、
漁師たちの命がけの辛さを思いやっている。

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