弘前藩よろず生活図鑑 Web版

陸奥新報紙面で掲載した内容を、
不定期に更新していく、
Web版よろず生活図鑑です。
紙面を見逃した方も、初めて読む方も、
分かりやすい内容となっています。

2009.07.31

「殿様の料理人」 郷土食研究家・木村守克

4代藩主信政の時代、
元禄10年(1697)の分限帳によると、
御台所には御台所頭以下料理人や食器具を
管理する人、帳付けの人や小者など
81人の人たちが働いていた。
料理人の身分には格付けがあって、
殿様の料理を作る人は御料理人と呼ばれていた。
その下が下(並)料理人で、
さらにその下には助手のような
板の間の者という人たちがいた。
他に仕出しの食事を作る
軽い身分の仕出し料理人(賄人)
といわれる人たちもいた。
この時には御料理人は4人、
下料理人は8人、板の間の者は6人がいた。
御台所は忙しかったようだ。
殿様の食事はもちろんのこと、
出仕の人たちの食事も作った。
そして度々の宴会、儀式や行事の料理作り、
江戸藩邸への食料の供給、
幕府やその要人への月々の音物(贈物)の調製、
魚鳥を始め様々な食品の加工、
貯蔵など多くの仕事があった。
御台所の御料理人は
優れた技量の人たちであったようだ。
信政は幾人もの御料理人の
鶴の包丁式というものを高覧している。
この儀式は誰でも行えるものではなく、
その料理流派の許された者だけが
行えるものといわれる。
これは鶴を包丁刀と真名箸で
瑞祥の形に切り並べていくものである。
その1人に小川金太夫という料理人がいたが、
日頃から料理に熱心であると褒美を与えている。
ところが2年後には料理の出来が良くないと
殿様に叱られ、
翌年には「日頃勤め方御意に入り申さず」と
江戸で解雇されている。
他方、石火屋次五右衛門という人は、
3代信義の時から60年にわたって
御料理役を勤めてきたベテランで、
推定では70歳を越えていたのではないかと
思われる。
信政に隠居を認められ、
今の年金のような5人扶持(玄米で1日2升5合)を
与えられ、さらに長男がその後を相続している。
料理人にも殿様に生かされた人と
そうでない人があったようだ。

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