弘前藩よろず生活図鑑 Web版

陸奥新報紙面で掲載した内容を、
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2009.11.01

テレビなどで見かける江戸時代の「ファッション」。実は細かな規制や、独特の風習と装いがありました。

「ダテ(伊達)ゲラ」

「ミノ」や「ケラ」は、農民の雨具であり防寒具であった。マダ(シナノキ)皮で作る「伊達ゲラ」は、そうした実用品のケラとは異なり、襟から背中にかけて木綿糸やコヨリで複雑な文様を編み込んだ外出着である。弓の矢や魔よけの意味を含む鳥居などの文様があり、その美しさを競い合った。

伊達ゲラよりも丈が短い「肩ゲラ」もあったようだ。これらがいつ頃誕生したかは定かではないが、弘前市沢田地区周辺の山間部では、昭和初め頃まで、嫁ぐ娘に母親がおしゃれ着として伊達ケラを編んで持たせる風習があったという。

ヘアスタイル、コスメ、履き物

鎌倉時代、兜(かぶと)をかぶって戦う際に蒸れてのぼせるのを防ぐ目的で、武士は頭のてっぺんを剃り上げる月代(さかやき)にし、ちょんまげ姿になった。江戸時代には一般庶民にも広がった。

女性は平安時代から800年もの間、身分を問わず下げ髪(垂髪)であったが、江戸時代初期に結髪へと変化した。年頃を迎えた娘は「桃割れ」や「銀杏返(いちょうがえ)し」、正装には「島田髷(しまだまげ)」、人妻になると「丸髷(勝山髷)」にし、夫を失うと髪の半分を切って一緒に埋葬し、「切髪(きりかみ)」にして余生を送った。

また、武家では「島田髷」、「丸髷」が一般的で、奥女中は「御守殿髷(ごしゅでんまげ)」を結った。町方では「桃割れ」、「銀杏返し」、「島田髷」、「丸髷」と多彩であった。農民の女性たちは、祝言など特別な場合を除いては「引詰髪(ひっつめがみ)」(※1)で過ごした。

この時代、女性の髪型は、年齢や身分の象徴でもあったようだ。藩政時代の化粧品は、口や頬、爪などに使用する紅、白粉(おしろい)、黛(まゆずみ)、化粧水などであった。紅は、紅花を原料に粉末や固形にし紅皿に溶き指先ですくって使用した。白粉は古代から存在し、顔には粉末の粉白粉、襟には液状の水白粉を牡丹刷毛で塗り襟足の美しさを強調した。化粧水は、ヘチマの水を採取したものを使用した。また、既婚者はおはぐろで歯をそめる習慣があった。

履き物には、足袋、草履(わらじ)、足半(あしなか)(※2草鞋(ぞうり)、下駄、歯の高い足駄(あしだ)があり、冬には、雪駄(せった)、藁沓(わらぐつ)も使用した。農村では下駄類は少なく、もっぱら手製の藁製品を履いた。

※注釈の説明

  1. 引詰髪/後ろに束ねて結う髪型。
  2. 足半/かかと部分のない草履。

挿絵1

挿絵2

挿絵3

挿絵4

挿絵5

挿絵6

挿絵7

挿絵8


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