弘前藩よろず生活図鑑 Web版

陸奥新報紙面で掲載した内容を、
不定期に更新していく、
Web版よろず生活図鑑です。
紙面を見逃した方も、初めて読む方も、
分かりやすい内容となっています。

2010.11.02

山越え、川を下り、土を掘って 燃料確保に苦労した時代

山越え、川を下り、土を掘って 燃料確保に苦労した時代

江戸時代、燃料として最も多く使われたのは薪と木炭である。西目屋村砂子瀬(すなこせ)地区では、夏に切り倒した木を冬にそりで岩木川の川岸まで運んでおき、春の雪どけ水を利用して川に木を流す「ハルキナガシ」をした。弘前の樋の口には土場が設けられ、ここまで流れ着くのに半月かかった。昭和初期の頃、村から弘前まで運んだ薪は7200タナ(1タナは薪を約縦180㎝、横180㎝に積み上げた量積)。これが街の人々の一年間の燃料になった。

炭には「白炭」と「黒炭」があるが、津軽では白炭の製炭が主流だった。砂子瀬地区では近年まで炭焼きが行われ、重い炭俵を背負って12㎞の山道を下り田代地区で米に替えるのは女性の仕事である。モンペ姿の「目屋人形」は、そうした女性をモデルに作られた。

挿絵1

泥炭燃料「サルケ」

山が遠く薪が不足しがちな西津軽郡の新田地帯では、葦などが堆積した泥炭層から掘った「サルケ」を燃料に活用した。 つがる市木造地区に住む須藤菊江さん(76歳)は、「湿地帯を50〜70㎝ほど掘って40㎝角の正方形に切り、土手で乾かした。10〜20日間ほどで乾燥するので家の裏に積み上げて保管し、ひと冬使った。昭和30年代初めまでは囲炉裏や薪ストーブに重宝したが、部屋中煙で真っ黒になるので大変だった。明治40年生まれの姑は、自ら馬に乗って近隣に売り歩き、結構な副収入になったようだ」と、当時を振り返る。

挿絵2

挿絵3

「薪」や「ペレット」を燃料にしたストーブが人気。

揺らめく炎を囲んでの家族団らん。かつての光景が甦るかもしれない。「最後まで大切に使い尽くす」。エコが当たり前だった時代の人々の想いが息づく暖房器具がある。廃材や樹皮など、木質バイオマスと呼ばれる資源を利用した、薪ストーブやペレットストーブだ。廃棄され、或いは山にうち棄てられていた資源を活用し、森林保護や活性化に繋げようとする試みは全国各地で行われている。


記事カテゴリー


バックナンバー


ダウンロード

陸奥新報紙面で掲載した内容を、プリントアウトして読みたい方に、A4サイズにレイアウトしたPDFがダウンロードできます。


参考文献・協力

弘前藩よろず生活図鑑を制作するにあたり、ご協力いただいた方々や参考文献・資料一覧はこちらから。


弘前藩よろず生活図鑑は


編集部が製作しています。