弘前藩よろず生活図鑑 Web版

陸奥新報紙面で掲載した内容を、
不定期に更新していく、
Web版よろず生活図鑑です。
紙面を見逃した方も、初めて読む方も、
分かりやすい内容となっています。

2011.05.29

花を愛でる行楽

弘前藩の桜の名所
長勝寺、風流殿様の花見

津軽家の菩提を弔う長勝寺で正徳5年(1715)、 藩主の花見が行われた。『弘前藩庁日記』によると 3月29日、 5代藩主・信寿(のぶひさ)は長勝寺の「霞さくら」 見物に訪れている。 新暦では5月2日にあたるこの日のために 殿様料理用の味噌、醤油、箸に楊枝、 照明用の蝋燭(ろうそく)まで落ち度の無いように 細々と指示が出された。 信寿は42歳で家督を嗣ぐまで長らく江戸に住み、 一流文化人らとの交流はもちろん、 吉原でも名を知られた「風流人」。 この日も御供への御馳走を赤飯から 御膳料理にするなど、気配りを忘れない。 午前11時頃から始められた花見は、 午後の5時頃まで行われた。

挿絵1

文人・粋人に好まれた弘前天満宮

太い幹には大きな木こぶ。滝のように垂れた枝。 弘前天満宮の境内、 樹齢500年以上とも700〜800年ともいわれる 「糸桜」(シダレザクラ)は現在もなお見事な 花を咲かせている。 岩木山を望む高台のこの地にはかつて、 領内の山伏を支配する修験司頭に任じられた 「松峯山長永寺」があった。 宝暦4年(1754)から 明治の神仏分離により廃寺となるまで、 糸桜は修験者によって保護されてきた。 岩木山の眺望と桜、 この地は文人や粋人に愛され、 多くの歌が詠まれた。 中でも「愛桜亭」の号をもつ毛内たきは 次の歌を遺している。 「行きて見ぬきみがためにとさくらがり」 「はなのかをりを袖にしめてき」

挿絵2

城下の人々のための行楽地、桜林

最終ページ「涼を愉しむ行楽」で紹介する 「千年山」が藩主一族のための行楽地なら、 桜林は城下の人々のための行楽地。 弘南鉄道弘高下駅のある弘前市桜林町は その名が示すように、 かつては桜花が美しい地だった。

桜林が造成されたのは享和3年(1803)。 9代藩主・寧親(やすちか)が 城下の人々の憩いの場を造るようにと家臣に命じ、 土淵川沿いのこの場が選ばれた。 植えられた桜は、手当を与えて富田村の庄屋に、 後には富田御屋敷の者に管理させるよう 申し付けられている。

花見弁当と古津軽塗

弁当を持参して花見をする風習が 一般的となった江戸時代。 それに伴い、 趣向を凝らした弁当箱が生み出された。 陶器製、蒔絵を施したものなど、そして津軽塗。

幕末に造られ青森県立郷土館に収蔵されている 「いろいろ塗り花見弁当箱」がある。 酒、料理、取り皿をコンパクトに収納する、 藩政時代のピクニックセットだ。 この花見弁当箱が 津軽塗技術保存会の職人たちの手で再現された。 この1つの弁当箱の中には16種類もの 古津軽塗の技法が用いられている。 馴染み深い津軽塗とは一風変わった、 ポップで鮮やかな模様。 花見気分を盛りあげる豊かな色彩。 今日では失われてしまった技法も盛り込まれた、 貴重な作品である。

挿絵3

挿絵4


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