復興への道しるべ
飢饉、火山噴火、火事、大地震。 江戸時代は「災害の見本市」と 言われるほど多くの災害に見舞われた。 なかでも安政年間は激動の時代であった。 安政元年(1854)11月4日に東海地震が、 翌5日には南海地震が起こり、 大阪では大津波が発生し 数千人の死者が出た。 さらに翌年の安政2年(1855)には、 江戸で「安政の大地震」が起こり 数千人が亡くなるという災害続きとなった。 安政3年(1856)発行の 『安政見聞誌(あんせいけんもんし)』 (全3冊)は、 地震の克明な記録と共に挿話や 瓦版などが収録されたルポルタージュ。 編者は仮名垣魯文(かながきろぶん)、 画は江戸時代末期を代表する 浮世絵師の一人・一勇斎国芳で、 地震大国と呼ばれる日本が、 震災と復興を繰り返して来た 歴史の一端を垣間見ることができる。
- 『安政江戸地震』野口武彦・著(ちくま新書・発行)
- 『実録大江戸壊滅の日』荒川秀俊・著(教育社・発行)
- 『大江戸ものしり図鑑』花咲一男・監修(主婦と生活社・発行)
- 立教大学図書館HPより
弘前藩の防災(例)
「山を大切にするは萬民性命を 保つ事の元なれば」
(『津軽信政公事績』より) 火を得るにも家屋を建てるにも木は 必要であり、 また、山林の荒廃は水源を絶つことに繋がる。 4代藩主・津軽信政の時代から藩は、 先の信政公の意を汲むべき 山林の保護や植林に力を注いだ。 西からの強風と砂塵から人々の生活を守る 屏風山への植林は信政の治世に始まり、 以来200年以上に渡り行われた。

生命を守り津軽を発展させた治水
一瞬にして命も家屋も飲み込む洪水への 対策は領民の生命を守り 新田を開発する上で欠かせない事業だった。 寛文7年(1667)には道路の幅や河川との 距離を定める令が出され、 現在見られるように、 川原には柳が植えられた。 氾濫を繰り返す岩木川への 大々的工事は延宝2年(1674)に施されて以降、 補修や堤の普請などたびたび手が 加えられる事となる。
