弘前藩よろず生活図鑑 Web版

陸奥新報紙面で掲載した内容を、
不定期に更新していく、
Web版よろず生活図鑑です。
紙面を見逃した方も、初めて読む方も、
分かりやすい内容となっています。

保存食編

2009.12.04

「けの汁」にまつわる伝承

けの汁・考 木村 守克

けの汁は古い昔から津軽に伝わる小正月の行事食である。

けの汁は津軽の七草ともいわれるが、元県知事の竹内俊吉さんは「けの汁を七草がゆとして食うべ」と詠んでいる。

私はかつて、けの汁のことを知りたくて県内と秋田県の一部を訪ねて、多くの人々に材料や作り方、そしてその思い出などを教えていただいた。けの汁は、地域や、家庭によって材料、切り方、味付けなど調理の方法が異なり多様である。

しかし多くは、だいこん、にんじん、ごぼうなどの野菜類、ふき、わらび、ぜんまいなどの山菜類、それに油揚げ、凍み豆腐、大豆を細かく砕いたズンダなどの大豆製品を基本的な材料として、みそ、しょうゆなどで味付けをした素朴な料理である。

けの汁にはいくつもの伝承がある。拙著を出してから、このことに関連してさるご住職からお手紙を頂戴したことがあった。

それは、このご住職がかつて小僧で修行していたお寺に代々、藩祖為信とけの汁のことについて次のようなことが語り継がれてきたというものである。

「為信が正月に平賀の大光寺城を急襲したときには、平賀にあったこのお寺に、ひそかに陣を張っていたという。

早朝の出陣に武士たちが腹ごしらえをしようとしたら、用意していた野菜が凍ってしまっていたので、このお寺の住職の発案で野菜などを細かく刻み、これをみそで煮て食べさせたという。

それが意外においしかったので、それ以後、毎年小正月に野菜などを細かく刻んで煮た料理を食べるのが習わしになったという。」

凍った野菜を細かく刻んだことなど、とても真実味を帯びている。

大光寺城の城門は今もあり、かつて平賀にあったこのお寺は、その後弘前に移されて茂森の禅林に現存する。もしかしたら四百年前の為信の時代にもけの汁があったのではないかと思われてくる。

ところで、けの汁はどこから来たものなのだろう。

平安時代の宮中の正月行事に1月7日に七種の若菜を羮(あつもの)(熱い吸物)として食べる七種菜(しちしゅさい)と、1月15日に七種の穀類を固粥にして食べる七草粥(ななくさがゆ)があったことから、このあたりにルーツがあるのではないかと考える。

津軽でけの汁が文献に見られるのは、五所川原の「平山日記」に、約270年前の元文5年(1740)1月16日、「今朝七草の汁に粥を食し」とある。期日からみて「七草の汁」とはけの汁のことと推察される。

時代が下って、「金木屋武田又三郎日記」の天保8年(1837)1月15日には、「今日年越し、かゆの汁刻む」とある。そして16日にも神仏に供えたであろう「白粥、かゆの汁」と見える。

けの汁の呼称について様々なことが言われてきたが、けの汁の「け」は方言で、「かゆ=粥」のことであろう。又三郎はそれを知っていて日記には紛れもなく「かゆ」と記したのであろう。

ちなみに秋田では「粥」を方言で「きゃ」などと呼んでいる。秋田でのけの汁は「きゃの汁」「きゃのっこ」などである。 

挿絵1

挿絵2

2009.12.03

保存技術の妙「漬・埋・干」の食

「漬ける」妙

飛鳥・奈良時代に大坂から都へ「塩染阿地」(塩漬の鰺(しおぞめのあじ))が運ばれていたように、「漬ける」保存は古くから行われていた。中でも漬物は日々の食事の中で大切なおかずであり、藩政時代、最も普及した保存食といえる。それだけに種類も多く、粉ぬか漬け、粕漬け、味噌漬け、粕みそ合せ漬け、切り漬けなど様々な漬物が食膳にのぼる。

魚介や肉もまた、漬けられた。珍しいものでは、菅江真澄が青森で出会ったウニの塩辛や琥珀漬け(ホヤの味噌漬け)、江戸の藩主へ届けられた牛肉の粕漬けがある。

また、藩では小国の蕨(わらび)や陸奥湾の初鱈、鶴などを塩漬けにし献上品として江戸へ運んだ。

「埋める」妙

一定の温度で、日光を遮る場所で保存すると新鮮さを保つ事ができる。「金木屋武田又三郎日記」嘉永6年(1853)12月5日では、弘前の豪商・金木屋が大根を漬ける際、100本を土に埋め保存していた事がわかる。

土中に埋めた野菜は真冬になっても凍らず、手軽に掘り出せて勝手が良い。雪深い津軽の気候を生かし、現代では地植えのまま越冬させた甘みの強い野菜の生産も行われている。

「干す」妙

今ではあまり見られなくなったが、昭和の時代までは軒先に野菜や魚などを吊す光景がよく見られた。干す事でより長期間の保存が可能になるだけでなく、凝縮した旨みを楽しめる。

寒入り後に獲られた鱈は開き鱈や棒鱈にされて遠く江戸まで運ばれ、煎海鼠(いりこ)は「長崎俵物」として重要な輸出品だった。

藩政時代、魚は塩漬けか干物として売られ、菅江真澄は『外が浜風』の中で杣人(そまびと)(きこり)が食事として「カスベ」という乾魚を持って山に入ると記している。寒冷な津軽の冬を利用して作られた氷豆腐や干し餅はおかずやおやつになった。

挿絵1

挿絵2

挿絵3

挿絵4


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