藩政時代の津軽の風俗を写した図録ともいうべき『奥民図彙(おうみんずい)』。その中に、「カッコロ」と呼ばれる毛皮が描かれている。様々ある毛皮の中でも「上品トス」とされた犬皮は、幕命で松前に派兵した際にも防寒具として使われていた。いったん吹雪に遭えば命を落としかねない極寒の地。軽く暖かな毛皮が、どれほど多くの人々の命を救ったことだろう。
深い雪を踏みしめるのは、編み目も美しい「ツマゴ」。背に負うのはほどよく風を通す「ケラ」。家の中で子供が眠る「エンツコ」にはたくさんの藁、ボロ布が敷き詰められてふかふかだ。夜には綿の代わりに藁しびを詰めた布団をかぶり、それすら無い人々は編んだ藁の中に潜り込む。
近年に至るまで日常的に使われていた藁の民具。利点を引きだすその技術は、藁を知り尽くした人々の知恵が生み出し、彼らの生活を支えた。
藁製品。つま先がついているタイプのわら靴は基本的に防寒用。手袋は冬期間、農作業や、荷物をもつときにも使われた。(青森県立郷土館:所蔵)
農民の男性。ケラを着、藍染めのモンペを履く。素足にワラジを履き、ガマの葉の脚絆を着けた。(『奥民図彙』より)
伊達ゲラに施された紋様は、市松、四ッ菱、弓の矢などが多い。鳥居の模様は、魔よけの意味があり、これは後が見えない不安からのものらしい。(青森県立郷土館:所蔵)
荒い目を塞ぐように、貴重な木綿糸で一針ひと針刺繍された「こぎん」。くたびれ柔らかくなった布を継ぎ合わせた「ボド」。上着や下着、麻蚊帳にいたるまで、使い古したボロ布を幾重にも重ねた夜着「ドンジャ」の中には麻糸を取る際に出るクズ麻が詰められる。
「一寸四方、小豆を包む大きさがあったら大事にせよ」。かつて、そんな言葉があった。寒さのため綿花の栽培が叶わなかった津軽。温かく柔らかな木綿は明治の時代を迎えてもなお、貴重品だった。糸となり、布となり、衣となり、また姿を変える。世代を超え、幾人もの人々が包まれ、守られる。生命を包み込んだ温かく柔らかな美しさをもつ布たちは今、「BORO」という名の芸術にまで昇華している。
上記の参考文献・資料
『奥民図彙』青森県立図書館:編・発行/『砂子瀬物語』森山泰太郎:著(津軽書房)/『青森県の百年』小岩信竹 他:著(山川出版社)/『女人津軽史』山上笙介:著(北の街社)/『日本の民俗2 青森』森山泰太郎:著(第一法規)/『みちのく民俗散歩』田中忠三郎:著(北の街社)/HP「日本の暖房の歴史」
取材協力
青森県立郷土館/五所川原市歴史民族資料館/五所川原市教育委員会