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江戸時代から近代にかけての弘前を中心とした生活図鑑

食ノ編

東奥津軽山里海観図

武士の日常の食事/ご飯は、大豆や小豆を入れて米を節約。魚はめったに食べられなかった。

四代藩主津軽信政公の料理を復元。

久祥院(きゅうしょういん)をもてなした饗応料理

『弘前藩庁日記(国日記)』には饗応料理である本膳料理が度々現れる。本膳料理について具体的に膳組と材料が記されるようになるのは4代藩主信政の代、貞享元年(1684)頃から。それまでは二汁五菜、二汁七菜、三汁十菜などの料理を差し上げるなど簡単に記されている。
本膳料理は、正式な日本料理の膳立てが基本となっている。つまり、本膳(一の膳)、二の膳、三の膳、四(与)の膳、五の膳などの形式をとる。
本膳には、普通は膾(なます)、平(煮物)、香の物(漬物)、汁、飯がついて一汁二菜。(場合によっては、平がなく香の物を加えて二菜のときもある)他に一汁五菜、二汁五菜、二汁七菜、三汁七菜、三汁十一菜などの種類がある。
次の料理は、貞享元年(1684)11月23日の夜、信政が生母の久祥院を修復なった城に招いて饗応した、二汁七菜の本膳料理である。(『北奥文化24号』)

四代藩主津軽信政公の料理を復元
弘前藩庁日記(国日記)

『弘前藩庁日記(国日記)』貞享元年(1684)11月22日より

上記を解読したもの

上記を解読したもの

本膳

本膳/刺身・汁・香の物・ご飯。香の物は「高照神社」所蔵の献立の資料を参考に、守口大根・小なす味噌漬け・瓜奈良漬けとした。

二の膳

二の膳/煮物・汁・海鼠腸(このわた)

平皿

平皿(石カレイ)、高坏(数の子・わさび・はりくり)、組焼(かまぼこ・うずら)、肴(柚子でんがく)、潮汁(鯛ひれ・みつかん・たこいぼ)「組焼」は、献立には鉄板で焼く意味の「なべやき」とあり素材が不明だったため、「うずら」を使用した。

むし里物・取肴

むし里物・取肴(生干鱈・ひらかつお・からすみ)、面々お菓子(大和柿・梨)、蜜漬お菓子「むし里物」と「御取肴」は本来は別の器で出すが、撮影の都合上、一つの高坏に盛った。また、「蜜漬御菓子」は、他の文献に「カステラ」の記載が見られることから「カステラの糖蜜浸し」とした。

うどん、吸物

うどん、吸物(そい・水菜)、葡萄酒、肴(蒸し鮑・水 くり・みつかん)

補足説明

「かきひらめ」/平目の身を包丁の先で掻き取るようにしたもの。
「御汁」/本膳につける汁を本汁といい、多くは味噌仕立てになる。二の膳の汁の多くは“すまし”で、味噌汁の上澄み、塩、醤油などが用いられる。
「くしこ」/腸を取り除いたナマコをゆでて串に刺して干したもの。
「品川のり」/いわゆるブランドと考えられる。販売地が浅草だと浅草海苔。
「雲子」/鱈の白子。タツ。
「海鼠腸」/ナマコの腸を洗って塩漬けにしたもの。
「引而」/ひきで。ひいて。膳組以外の余分な料理。数種類が用意されるが、本膳料理の膳組に記されることは少ない。
「色付石かれい」/石かれいに醤油の色を付けて焼いたもの。
「鰊鯑」/数の子。
「はりくり」/生栗を針状に刻んで天盛りにする。毒消しの働きがあると信じられた。
「かまぼこ」/蒸した物ではなく、“焼き抜き”のかまぼこと考えられる。 「なべやき」/肉、魚を鉄板で焼いたもの。
「ひれ」/鯛のヒレと思われる。
「みつかん」/みかんの皮を干した「陳皮」のことと思われる。
「大学差上之」/家老の「津軽大学」が生干鱈とひらかつおを献上した。
「ひらかつお」/鰹を干して薄切りにしたもの。
「御取肴」/正式の日本料理の饗膳で、三度目に出す酒に添えてすすめる酒の肴。珍品などの心づくしのものを、主人が自らとって勧めるところからこの名がついた。
「からすみ」/マボラの卵巣を塩漬けにし、塩抜きして圧搾、乾燥したもの。長崎産が有名。
「大和柿」/御所柿。奈良県御所(ごぜ)の原産といわれる。甘柿で種がほとんどない。
「梨」/江戸時代の紀行家・菅江真澄が1788年に三廐村に訪れた際の記録に、津軽梨の原体となったと思われる「三廐梨」のことについての記述がある。
「蜜漬御菓子」/砂糖を溶かして蜜のようにした糖蜜を使ったお菓子と思われる。「藩日記」には「蜜漬カステラ」という記事も見られる。また、江戸から「蜜漬けの壺」が届く記事も見られる。
「後段」/食事の後に出す軽い食べ物のこと。
「こせう」/胡椒のこと。すでに食していたらしく、時折文献に現れる。
「葡萄酒」/江戸時代料理書記載の葡萄酒は、ぶどうの果実に麹、蒸もち米、焼酎、酒などを加えて作ったとある。
「水くり」/栗の皮と渋をむいて水煮した栗。または水に浸した栗。

献立復元に協力していただいた方々。

むし里物・取肴

木村守克さん(右)※2009年当時
郷土食物史家。1936年弘前市出身。著書に『みちのく食物誌』(路上社)、『けの汁』(路上社)など。現在、東北栄養専門学校教諭、東北女子大学非常勤講師。弘前古文書解読会会員。「長年、研究してきた久祥院と殿様の料理を再現する機会に恵まれ、大変嬉しいです。物が豊富な今の時代から見ればさほど豪華な献立ではない印象を受けますが、当時の一般庶民には想像もつかない料理だったのでしょうね」。(談)

大山三樹男さん(左)※2009年当時
旬菜料理「おおやま」店主。1949年北海道登別市出身。「ホテル法華クラブ弘前」の料理長を経て、2000年に同店オープン。「文献に照らし合わせて、食材を探すのに苦労しました。藩政時代と比べても調理方法はほとんど変わっておらず、日本料理の技術は、時代を超えて受け継がれてきたのだと、改めて感じましたね」。(談)

上記の参考文献・資料
「弘前藩庁日記(国日記)」(弘前市立弘前図書館:所蔵)/『北奥文化24号』北奥文化編集委員会:編(北奥文化研究会)より、「四代藩主信政の生母・久祥院にかかわる食べものについて」(木村守克:著)

取材協力
長勝寺(器)/郷土史家 田澤正(高照神社 献立資料解読)