『東海道中膝栗毛』の大ヒットを受け、地方独自の滑稽本が次々と発刊された。洒落や歌、イタズラに数々の失敗といったユーモアの中にも各地の有名な寺社仏閣、名所旧跡、温泉や名物などが盛り込まれる滑稽本は、これから旅に出よう、出たいと思う人々の期待に応えた。津軽にも現在、2つの滑稽旅行本が遺されている。
万延元年(1860)に発刊された『御国巡覧滑稽嘘尽戯(おくにめぐりこっけいうそつきげ)』(通称・『津軽道中譚(つがるどうちゅうたん)』)は一瓢舎半升の作で、江戸生まれの喜次郎兵衛を弘前生まれの弥太八が津軽各地を案内し、物語が展開する。2人は4月はじめ、矢立峠から羽州街道を北上し、碇ヶ関、大鰐、鯖石、乳井、猿賀、黒石、浪岡とまわりここから大豆坂(まめさか)通を抜けて浅虫と来て、舟で島巡りをした後、その舟で青森へ向かい青森見物をする、という6泊7日の旅の道中が描かれている。
居づらくなった江戸を出奔し、松前に渡って稼ごうと目論んで津軽へとやってきた2人が繰り
広げる軽妙なやりとりに、全8巻という長さにもかかわらずついつい読み耽ってしまう。
『御国巡覧滑稽嘘尽戯』に遅れること5年、元治2年(1865)に『奥州道中記』が刊行された。遍四半舎二半丸が著したこの作品は、夏の盛りに江戸生まれの弥次郎兵衛と北八の2人を大館生まれの佐吉が案内する趣向で、3人は羽州街道を北上して矢立峠から津軽領へ入り、碇ヶ関、大鰐、石川、小栗山、千年山とたどって弘前までの3泊4日の旅をする。
江戸時代後期、津軽をくまなく歩いた旅行者がいた。菅江真澄。博学者でもある彼は、訪れた各地の風習や習慣、伝承を書きとめ、写実的なスケッチ画を描いた。記録した旅行記は200冊を数え、それらは『菅江真澄遊覧記』と総称されている。
『楚堵賀浜風(そとがはまかぜ)』。天明5年(1785)、大間越より津軽領へ入った菅江真澄は五所川原を経て弘前で名月を眺め、松前に渡ろうと青森へ至るが、天明の飢饉のため断念し、引き返して矢立峠を越え秋田へ入った。
天明8年(1788)の『率土か浜つたひ(そとがはまづたい)』では狩場沢より津軽へ入り、津軽半島を東岸沿いに北進、三厩から舟に乗り松前へ渡っている。
寛政7年(1795)3月から寛政8年(1796)4月までの2ヵ年に渡る旅の草稿は、後人の手によって『津可呂の奥(つがろのおく)』に纏められた。
また、寛政8年の秋からは西目屋村の暗門の滝を見るために、当時滞在していた深浦から往復した記録には『雪の母呂太奇(ゆきのもろたき)』の名が付けられている。
菅江真澄が歩いたのは、整備され、宿場も整えられた安全な道ばかりではない。時には宿の当てもなく、時には雨や雪に降り込められる寄る辺ない旅を続ける菅江真澄を、人々は温かく迎えた。
雪降り積もる黒石市の高舘で宿を求めた菅江真澄に、家の主は自分の場所を与え、「こんな奥地で大雪に遭い、こんな粗末な家で寝ることになるとは可哀相だ」と菅江真澄の身上を我が事のように悲しんだ。
また、冬に暗門の滝を見に行こうとした菅江真澄に、川原平の家の主はカモシカの毛皮の服を貸し、無事に戻ってきた菅江真澄を歓迎している。
旅行記にはこうした記述が散見し、その土地の人と同じ目線であろうとする菅江真澄と、実直な彼の人柄に好感を抱いて交流を深める人々の様子が浮かび上がってくる。
実際に津軽を訪れた人々もまた、当時の津軽の情景を多く記録していた。
宝暦8年(1758)に津軽を訪れた上方の商人が著した『津軽見聞記(つがるけんもんき)』は、商人が綴っただけあって名所の他、物価や名物、その値段が細かく記されている。
また、旅行は若者だけの特権ではない。南部藩士・菊池成章は65歳という高齢で諸国巡りの旅行に出立した。彼の旅行記『伊紀農松原(いきのまつばら)』は、短いながらも高い教養が感じられる記述が多い。
◎場所/矢立峠
津軽と秋田の境。険しい峠なのに茶屋が一軒もない。さすが遠国…。
◎場所/碇ヶ関
両側にお殿様の宿泊場所あり。繁華街。北川岸に熱い湯とぬるい湯2ヶ所あり
◎場所/碇ヶ関
まるでお城みたいに立派な関所。
◎場所/碇ヶ関上の町の旅籠
ちょうど向かいに温泉があって据え風呂なし。1泊240文。肴は120文、お酒は54文。しらうおの煮付けに漬けショウガ、玉子のふわふわ、から鮭の薄切り、細切りにしたウド芽の味噌汁。朝ご飯は、ゆず味噌の湯豆腐、クルミ和え、豆漬け、むしり鯡(にしん)に子持ち鮎の田つくり、松葉昆布。
◎場所/古懸
さつまや名代の蕎麦、砂糖もち、よし野飴、串柿、だいだい、さつま芋、ひゃっこいところてん、お嵩の白雪あついとこ、鰹節の入った精進ものに塩引きの煮付け、唐茄子でんがく
◎場所/蔵舘
蔵舘名物。
◎場所/大鰐、大日堂の向かい。
日本に3本しかない中で津軽のが一番大きい!と江戸でも有名。柵で囲って碑を建てて、傍に
茶屋をつくってあんころ餅に「荻の花」とか「桂餅」とか名前をつけて売ればきっと流行るはず
◎場所/居土村
身欠とウドの煮付けにワラビの粟漬け。お腹が減っていると何でも美味しい。
◎場所/鯖石
豆腐のはんぺんが名物。
◎場所/碇ヶ関から弘前への本道
松の枝には切れたわらじが幾つも引っかかり、道には馬糞がたれ散らかっている。すごい交通量だ。
◎場所/乳井
乳不足の女性が祈れば出がよくなるらしい?
◎場所/猿賀
ここの氏子は鳥類を食べたら神から罰が下るんだとか。引っ越してもダメらしい。大池には蓮、菱、ジュンサイが青々としていて、池の鮒は片目だという噂だけど殺生禁止だから誰も確かめてない。
◎場所/板留温泉の旅籠
肴はざっこ(雑魚)の昆布巻き、川鱒に敷蒜、ふきの甘漬け。
◎場所/板留
川端に湯が湧いてて、坂を下って湯に入る。岩壁を削る急流と坂道に目がくらむけど片岸に柵
が建ってるから目が見えなくても大丈夫。
◎場所/黒森
近年、黒石の人が池や泉、行者堂、庵を建てたらしい。遠近の広野を眼下に望み北の海まで見渡せる名所。
◎場所/法嶺院(法峠寺本院山寺)
お寺でおむすびを食べていたら院主がごちそうしてくれた。京ふきの甘漬け、湯桶にいれたままのわさび、茶の入った土瓶に茶碗を2つ添えて。
◎場所/本郷村
前浜のでんがく、玉子のから煮、新身欠き。
◎場所/元町
お酒を吞んでたら糠漬け大根をサービスしてもらった。けど、すっっぱい!
◎場所/玄女林
乳不足の女性が願掛けすると滝のように出るそうな。
◎場所/一の沢
ウドと身欠きの煮染め、がさえびの醤油煮
◎場所/塩町の遊郭
小砂鉢にふのやき10切れほど、皮目巻と漬生姜の積合わせ、長皿にはがさえびをうず高く盛り、蓋付きの大平、銚子、後に煮付けと鮑、吸物は八はい豆腐にシラヲ(しらうお)の葛懸。遊女2人と酒、肴代で3,120文。
◎場所/浅虫
鮑がいっぱい。船頭が捕った小魚のあぶり焼きと鮑を肴にして吞んだ。
◎場所/浅虫
手持ちの新身欠きに味噌や笊石の煉りウニをつけて肴に。
◎場所/久栗坂
6月のウニが最上。煉りウニは小さい曲物が1つ30文。
◎場所/野内
4月上旬に野内川に遡上する小さくて透明な魚。目は胡麻つぶみたい。美味。
◎場所/賀田
実に穴があいて成る、珍しい白梅。持ち主の験者は、この梅を他にやりたくないから実はあげないし、あげたとしても煮てからあげるんだとか。
◎場所/山形町
大座敷の庭からの景色はお国で1、2を争う勝景。ここでお酒を飲んだら最高だろうなぁ!
◎場所/二双子
鮭の塩引き、ハタハタ、氷頭なます。今日は産土(土地の神様)の祭日だとか。
◎場所/碇ヶ関上の町の旅籠
海岸の岩屋に寝泊まりするという乞食がいたのでふと中を覗くと熊が寝ていた。
◎場所/浅虫の旅籠
水鮑、玉子巻き、めらか竹、独活の酢漬け、海素麺、鮫の小串が4つ5つ、青葉の刺甘漬。
◎場所/浅虫
磯の海士が少女に持たせた赤皿を貰った。
◎場所/浅虫
塩漬けのアマ菜、から菜、ネギ、大根、羊蹄(ギシギシ)などを入れてた。
◎場所/茂浦
旅人を泊めるわけにはいかない、と言われて困っていたら泊めてくれた。ふくべら、しおで、熊アザミを煮たものと、今日摘んだ海苔。
昔、椿崎から椿を盗んだこの浦の人がここまで逃げてきたところで海が荒れて風雨が烈しくなった。その時に落ちた実がここに生い茂ったらしい。
◎場所/小湊
雷電宮の前の入り江ではアサリやハマグリが獲れる。道端にはその貝がたくさん捨てられている。
◎場所/たねざと村(種里)
鳳松院をここから弘前に移した跡に建っているんだそう。
◎場所/湯谷(湯段)
湯治宿の長。熱い湯・ぬるい湯2つの湯船。
◎場所/白沢
神の祟りがあるとイタコの託宣があったら牛や馬を捧げる。
◎場所/名坪平
世の中(その年の豊凶)を占う滝。村雨のような飛沫がはらはらと落ちてくる。滝の下の岩は新穂石(にほいし)という。
◎場所/暗門
山子に連れられて、仲間の小屋で温まっていたら家主が帰り、丹波焼きという、練った飯を木の長串にさして味噌を炙りつけたものをつくってくれた。
◎場所/土淵川
一般に「つがる石」と呼ばれるものは今別ではなく土淵川で採れるのが本物。
◎場所/鶴田
このあたりの野山からさる毛(谷地綿)をとって燃料にしている。
上記の参考文献・資料
『御国巡覧滑稽嘘尽戯』一瓢舎半升:著(弘前市立弘前図書館:所蔵)/『奥州道中記』遍四半舎二半丸:著(弘前市立弘前図書館:所蔵)/『菅江真澄全集』内田武志・宮本常一:編(未来社)/『図説 日本の歴史2 図説 青森県の歴史』盛田稔・長谷川成一:責任編者(河出書房新社)/『宝暦津軽見聞記』青森県立図書館:編(青森県立図書館)