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江戸時代から近代にかけての弘前を中心とした生活図鑑

祭・民族ノ編

東奥津軽山里海観図

『東奥津軽山里海観図(とうおうつがるさんりかいかんず)』の「祢布多祭」の図(県立郷土館提供)。元治元年(1864)に清白閑人(せいはくかんじん)が描いた。

「津軽神楽」と夜宮

高照霊社での奉納が始まりといわれる津軽神楽

「津軽神楽」は、神社の祭礼などに奉納される社家神楽で、舞も楽も神官のみが行う大変格式が高い神事芸能である。 4代藩主信政は吉川惟足(きっかわこれたる)に入門して神道や国学を学び、宝永7年(1710)に没すると、岩木山麓に高岡霊社として祀られた。2年後の正徳2年(1712)、藤崎町の堰八豊後安隆(せきはちぶんごやすたか)は江戸の鏑木大蔵(かぶらきおおくら)や京都などで伝習を受け、正徳4年(1714)に帰藩。東照宮の山辺丹後(やまべたんご)と相談し神職を指導、同年7月高照霊社(現・高照神社)の祭典に奉納したのが津軽神楽のはじまりといわれている。囃子に使う楽器は、太鼓、小太鼓、笛、手平がね。現在、神入舞・宝剣・磯浪(いそら)・千歳(せんざい)・榊葉(さかきば)・弓立(ゆだて)・天王(てんのう)・朝倉・湯均舞(ゆならしまい)・御獅子(おしし)・四家舞(しかのまい)の、11演目が伝えられている。
平川市の猿賀神社では、2009年5月に崇敬会大祭が催され、本殿の完成を祝い約30年ぶりに四家舞が披露された。四家は士農工商をあらわし、殿中の慶事や神社の落成行事の際に行われる、真剣を使った古式ゆかしい舞である。津軽神楽保存会会長で、猿賀神社や弘前市品川町の胸肩神社などの宮司を務める山谷敬さんは、「神事的要素が強く、弘前藩の殿様ゆかりの津軽神楽を大事に守っていきたい。また、今年は『四家舞』を復活させたこともあり、今後は国の重要無形民俗文化財に指定されるよう働きかけていきたい」と語っている。
高照神社に隣接する「高岡の森 弘前藩歴史館」には正徳4年(1714)7月に今井源右衛門が作成した『於高岡御祭礼御規式帳』が保管されており、津軽神楽についての記載もある。また藩政時代の神楽面も収蔵しており、津軽地方に伝わる神事芸能の貴重な資料となっている。

猿賀神社での神楽。

猿賀神社での神楽。舞は「磯良」。

四家舞

猿賀神社本殿の完成を祝い、約30年ぶりに奉納された「四家舞」。

高士能楽鑑賞図

高士能楽鑑賞図(弘前市立博物館蔵)

於高岡御祭礼御規式帳

正徳4年(1714)に作成された『於高岡御祭礼御規式帳』(高照神社所蔵)

猿賀神社での神楽。
猿賀神社での神楽。

高照神社・宝物殿に展示されている神楽面や宝冠❶、御鈴❷などの採物。鈴の台となる漆器には、弘前藩家老の「津軽堅物」名が刻まれてある。

宵宮などで見学できる津軽神楽

5〜7月を中心に初夏から秋まで各神社で行われる宵宮(ヨミヤ)は、津軽の夏の風物詩である。藩政時代には、新しく集落ができるとさっそくお宮をつくり、産土神(うぶすながみ)を祀ったという。祭りは神前・境内を浄め、神官・氏子が精進して神迎えをする行事で、宵宮は暗闇のなかで神を迎える前夜祭であった。
津軽神楽は、津軽地方の総神社数約400社のうち、岩木山神社、猿賀神社、弘前八幡宮、胸肩神社ほか、各神社の宵宮などで行っており、誰でも見学できる。その他、宵宮以外のお祭りでも不定期に行っている。

宵宮

出店の種類は時代とともに変わるが、宵宮は何歳になっても心が躍る。

上記の参考文献・資料
『津軽神楽』津軽神楽保存会:編・発行/『祭礼行事・青森県』高橋秀雄・成田敏:編(桜楓社)/『日本の祭り文化辞典』星野紘・芳賀日出男:監修(東京書籍株式会社)/『日本民族芸能辞典』文化庁:監修(第一法規出版)/『日本の民族 青森』森山泰太郎:著(第一法規出版)/『津軽の民俗』和歌森太郎:編(吉川弘文館)/『青森県の民間信仰』小舘衷三:著(北方新社)/『改訂 津軽の祭りと行事』船水清:著(北方新社)

上記の取材協力(2009年当時)
弘前市立博物館・高照神社・津軽神楽保存会